United Kingdom

 

英国。多感な18歳から24歳までの約6年間を過ごした、私にとっての第2の故郷の様な国である。今思えば夢のような時間だったけれど、この経験がなければ、今現在の自分は居ないと思う。性格、音楽、人生観・・・色々な意味で大きく変わったと思う。日本の音大に進んでいたら今頃、自分はどうしていたかな?と、興味もあるけど。

【きっかけ♪】

そもそも、海外の音大に憧れを抱き始めたのは小学校高学年の頃。私の選んだ英国王立音楽院(Royal Academy of Music)の存在を知ったのは中学生の時だった。音楽雑誌の中の“世界のコンセルヴァトアール”と題された特集に載っている、その建物を見て『かっこいい〜!!』と、一気に気に入る。始めはこんなミーハー的単純な動機だったが、それ以降、この学校が気になり始めていた。

中学に入り、週末が来ると東京や大阪に浜松から新幹線で緊張しながらレッスンに通う日々が日常となり、段々と本格的に、この道でやって行くんだと覚悟と言うか意志が固まって来た(小学校の頃は練習が大大大っ嫌いでしたから・・・)。この頃から始まり、留学後も色々な先生や周りの方から、よく言われたのは『弾き方が日本人らしくないね』って事。これは良く言えば自分の音楽や個性が強い、悪く言えば緻密さ、完璧さに無頓着・・・と言う事。ふ〜ん、じゃあ私は何人の弾き方なんだ??と言われる度、悩みつつ、自分では良く分からない、その個性やらは大切にしつつ、出来れば音楽を潰さずにテクニックも高めて行きたいなと思い始めた。←現在もこの思いは進行中。。

【試験⇒準備♪】

高校に進学すると、ヨーロッパの音大の資料を集めたり、高校1年の秋には母とヨーロッパを旅して、ドイツやオーストリアの音大を実際見に行ったりし始め、確実に意識は強くなる。でも、いざ大学受験が近付いて来ると、行きたいものの、何故か決断が出来ず『まぁ、日本の大学を出てからでもいいか。。』と、思い一気に消極的となってしまった。そんな私の背中をポンと一押ししてくれたのが両親の『本当は行きたいんじゃないの??』って言葉。単純なもので、その言葉で一気に『やっぱり行きたい!』と、それまでの迷いがフッと消え、意志が固まり、早速受験の準備を始めた。実技は実力勝負で頑張れば良いものの、大問題は英語力。中学卒業後、果敢にもアメリカへ留学、当時、一旦日本に帰ってバリバリ英語で仕事をこなしていた御近所の淳子ちゃんに泣きついた。面接での受け答えを英文に直してもらい、上手な発音を少しでも真似しなきゃと、テープにまで録音してもらい、試験に臨んだ。(その節は本当に有難う!!)

試験は、有り難い事に実技では高く評価してもらい、『今後、あなたにスカラーシップ(奨学金、報奨金みたいなもの)を与えましょう。ロンドンであなたに会えるのを楽しみに待っています。』と、合格通知より前に、その場で言ってもらえた。勿論、通訳を介して・・・。でも、英語の悲惨さはバレバレ。お願いだから渡英するまでの3ヶ月間、英会話学校に行ってくれと懇願された(苦笑)。

さて、その紹介されたブリティッシュカウンシルの学校。入校の際、クラス分け試験があった。ロンドンに渡ってから、同じく大学より強制的に行かされた英会話スクールでもそうだったが、日本人ゆえに文法や筆記には比較的強い。が、、英会話能力がまるで欠けていた。面接テストの時、イギリス人講師に、たどたどしい英語で『ロイヤルアカデミーに4月から行くの。』って、身振り手振り伝えたら『そりゃあ大変!!!!!』と、ひっくり返られた。当然の結果、最低レベルの初心者コースよりスタート。・・・と言っても3ヶ月しか時間は無かったのだから、最低クラスで始まり、最低クラスで終わった。で、授業内容と言えば、本当の超基礎。ABCの発音の仕方からで、3ヶ月では効果は殆んど無し。。。『ま、元気に頑張って来てね!!』と、お互い苦笑いをしながら、その当時は見慣れなかった西洋人に“かっこいい〜”と、目をハートにしたイギリス人講師、ポーリックに肩を叩かれ、あっけなく終了。

【渡英♪】

9月末より始まる大学生活に備えて、4月2日に渡英。この時は、とにかくバタバタと準備に追われ、忙しい毎日。どんな生活になるかすらも見えない未知の留学生活に、期待と不安で胸が一杯で、寂しいなんて思う余裕が全く無かった。涙を見せる事も無く、両親に見送られ、成田より旅立った。飛行機の窓から見える、13時間掛けて辿り着いた英国、ロンドンは、赤レンガの建物が綺麗にビッシリと建ち並ぶ、ミニチュアドールハウスの様な可愛さだった。この国が、これから6年間生活する、自分にとっても第2の故郷になるんだなぁと、ドキドキ、ワクワクしたのを今でも忘れられない。

空港よりバスに乗り継ぎ、これからの新しい生活場所へ。バスを降りた瞬間、初めてのロンドンの空気を吸い込み、空気の違いを感じた。4月だった事もあるが、キュッとしまった冷たい空気に『あぁ、イギリスの空気』としみじみ思った。以後、訪れる度に、この感覚が大好き。

1人暮らしを始めるにしても、右も左も何も分からない国の事。まずは、国と生活に幾分慣れてから、じっくりと探した方が良いとの事で、取り敢えず大学のすぐ裏手にあるISH(International student house)と言う寮に入る事にした。トイレ、シャワーは共同、部屋にはシンクとたんす、小さな机とベッドが、ぽつんと置かれた狭〜い部屋。この分だと、いつまで持つか?と一抹の不安を感じたけれど、救われたのは、その狭い部屋の小さな窓からの広大な景色。新緑の眩しいリージェントパークが目の前に広がり、ストレスが溜まると窓からボーっと眺めて、鳥の声等も聞きながら癒されたもの。

【プレスクール開始♪】

本格的な大学生活は9月中旬スタート。それまでの半年間はとにかく全てに慣れる為の準備期間。4月から翌年3月までの1年間、基礎英語と基礎音楽を教えてくれる、アジア人の為の大学予備コース(予備校みたいなもの)に、3ヶ月間参加した。当たり前だけど、全て英語の生活。中高と6年間英語の授業を受けてきたにもかかわらず、喋れないし、それ以前に聞く事が出来ない。同じ人間なのに、どうして通じ合えないの??と自分の無力さに虚しくなった。

そんな英語に圧倒され何が何だかさっぱり分からない、渡英2週間目位だろうか?学校の英語の授業に行く時、乗っていた寮のエレベーターが突然停止。どうやら電気も消え、故障の模様。ビクともしない。非常ボタンを慌てて押してみたものの、全くの役立たずでそちらも同時故障。最悪。。日本でもこんな体験した事が無いのに異国の地でいきなりのアクシデント。真っ暗なシ〜ンとしたリフト内で、脱出法をとにかく考える。まずは壊れている事、人間が閉じ込められてる事をアピールしなくては・・・と、取り敢えず扉を叩きながら『Help Me〜〜!!』と絶叫。次に“故障”って英語で何て言うんだっけ??と一瞬考えてから『This lift is out of order!!』と、極めてつたない英語で叫んだ。外の人に気付いてもらいドアをこじ開けて脱出出来たのは30分後の事。閉じ込められたショックもさることながら、遅刻した授業でも英語でこの事件を説明しなくてはならないし、当時の私にとっては衝撃の1日だった。それ以来、エレベーターに信頼を寄せる事が出来なくなる(笑)。1人で乗るのは勘弁!

さて、9月からの大学生活スタート前に顔合わせをして、出来ればレッスンを開始しようとの事で初めてのピアノレッスンがアレンジされた。公開レッスン等で外国教授のレッスンを受けた事は、日本でも何度かあったけれど、自ら海外で、今度は自分が外人となりレッスンを受けるのは初めて。たまたまそれまでに女性の先生にしか師事した事が無かったので、初めての男性イギリス人教授に習う事となった。この時、音楽(芸術)は言葉の壁を越えた世界共通の表現方法なんだと言う事を痛感。言葉が通じなくても、ピアノを通じてコミュニケーションが取れ、レッスンが成り立つのが驚きだった。この時からが最も“自分を知ってもらうには、評価してもらうにはピアノしかない”と意識して、英語が話せない分、思いっきり自己表現を強くピアノでし始めたのかもしれない。

この時カルチャーショックを受けた事は、友達、先生関係なく呼び捨て、もしくはニックネームで呼び合うこと。それまで尊敬語、謙譲語、丁寧語を使い分けてガチガチに緊張してレッスンを受けていた自分にとっては考えられない事。『フランクって呼んで』と、教授に言われ、皆が『Hi, Frank!』なんて声を掛けている姿を目の当たりにして、直前まで習って現在もお世話になっている堀江孝子先生等の大先生に『よっ、たかこ♪』と声を掛ける自分の姿を想像して『ありえな〜い!!』と目まいがした。ま、でも人間の慣れって恐ろしいもの。鳥肌が立つほどショックだったこの事も数ヵ月後にはすっかり慣れ、呼び捨ては勿論、ベンジャミンはベン、クリストファーはクリス・・・等どんな教授にも段々と無理せず名を呼べる様になった(笑)。もう1つはお辞儀の習慣。イギリス人(欧米はどこもそうかな?)は頭を下げたお辞儀を殆んどしない。ステージ上でのお辞儀くらいじゃないだろうか?後は軽く首を傾けたりして動かすのみ。『君ってどうして腰曲げてお辞儀ばかりしてるの?』と言われ、初めてペコペコバッタであった自分に気付く。日本人って腰が低いですもの(笑)。特に先生方には『宜しくお願い致します』から『有難うございました』まで深々とペコペコしていたので奇異に映ったらしい。今では笑って話せるけど、当時は必死。いかに『宜しくお願いします』といった単語を乱用してお辞儀ばかりし、お堅い生活を送っていたか、しみじみ理解。この国の常識には自分を改造しなくては・・・と決心した。

それにしても、教授や周りのイギリス人が、よくぞ悲惨な私の英語力に本当に根気強く付き合ってくれたものと大感謝である。上記の初レッスンの終了時に『Let's work together.』(これから一緒に勉強して行こうね)と簡単な英語で言ってくれた教授に、work(ワーク)とwalk(ウォーク)の発音が混乱して、咄嗟に『To where??』(どこに歩いてくの?)と真面目にボケて困らせた。1年半後、やっと『あの頃はどうしようかと本当に心配したよ、英語が出来る様になって良かった良かった』と言ってもらえたのも懐かしい思い出。

有り難い日本人の友達も増え、イギリス人にも優しくしてもらい充実した毎日を送る事が出来た。丁度、気候もどんどん良くなる季節だったし、学校の裏庭の様なリージェンツパークを散歩したり、楽譜を買いに行ってみたり、英国生活最初の食器はウェッジウッド!と決めていたのでウェッジウッドの本店にドキドキ買いに行ったり、行動範囲もジワジワ広がり始めたこの頃。やる事、見た物全てがドキドキの新発見で冒険に出掛けた子猫のようにビクビクしながらも興味津々で、あっという間に3ヶ月が経過した。

【住宅事情&引越し♪】

丁度3ヶ月目に入った辺りだろうか。一気に体調を崩した。寮生活自体に食事が付いていなかった為に、毎日が外食。・・・と言ってもファーストフードやそれに準ずる油っこいイギリス料理の毎日から胃腸がおかしくなる。おまけに、英語等のストレスから常に何かを口にしていないと落ち着かなくなってしまい、連日チョコレート付きのビスケットを次から次へと食べ続け、細かった身体が3ヶ月で9kgも一気に太ってしまった。楽しみながらも、9月からの大学生活への英語の不安、3ヶ月間の一生懸命気を張って過ごした新生活のストレスが一気に精神的にも肉体的にも出てしまったらしい。寮の暗くて狭い生活も自分には向いてなかった様で、心機一転、しっかり日本食を自炊出来る1人暮らしをする事にした。

さて、寮を出るとなると幾つかの選択肢がある。まずはホームステイ。これが最も英語上達への近道と言われるが、ステイする家の当たり外れも有るしプライベートな点では、やや△。では、マンション(こちらではフラットと呼ぶ)、一戸建て等への1人暮らし。イギリスの住宅事情は日本と較べて家賃がかなり高い。日本によくある音大生専用防音マンションなんて物は存在しないし、グランドピアノとベッドで精一杯のコンパクトな部屋も無い。スタジオフラットと呼ばれる1部屋にキッチン等が入っている最もコンパクトな物件ですら、実際見てみるとかなりの広さが一般的である為、値段が高いのも無理ない。

学生に多いのは3ベッドルーム等ある大き目のフラットを3人等で借り、キッチン、バス、トイレ諸々は共同。部屋のみがプライベートといったもの。とっても気の合う仲間同士でお互いを尊重しつつ、上手くやれれば最も安く、且つ市内の中心地やかなり大きな豪華物件に住めるメリットがある。しか〜し、一度もめると大変な事になるらしい。掃除から始まり、酷い時にはトイレットペーパー1つの使用量でも喧嘩になるとか(笑)。おまけにグランドピアノを入れ、プラス毎日の音を伴う練習で、仲間にも迷惑が掛かるだろうし、これもパス。何が何でも快適な1人暮らしを!とせっせと探す。つたない英語だけれど、中には日本人経営の物も有ったりして、不動産を何軒かあたってみた。しかし、どこに行っても『グランドピアノを入れたい&ロイヤルアカデミーの音大生ピアニストです。』の一言で、たまらなく嫌〜な顔をされる。世界どこでも音楽家という職業は不動産に嫌われるのねと痛感。

1ヶ月ほど部屋探しに走り回った頃だろうか、お世話になっていたロンドンのYAMAHAの方から音楽家のみに貸している1軒家に空きが出たけど、どう?と連絡を頂いた。歩いて30秒という立地だけは最高の寮に較べ、最低40分は地下鉄とバスを乗り継いで行かなくてはならない不便な所だったけれど、一目で気に入った。バラの花がいっぱいの広い庭に建つ古いレンガ造りの一戸建てはいかにもイギリスらしい。話を聞けば大家さんは派手なパーティー等を度々され(イギリス人はホームパーティー好き)、備品を壊したり大騒ぎする可能性の高い一般の人よりも、音は出すけれどおとなしくせっせと練習ばかりする音楽家がお好みとの事。空きが出た1階のフラットに案内され、1人には広すぎるかしら?と思える間取りに満足。キッチンダイニングに、トイレ、バス、寝室、奥には20畳ほどの部屋があり、グランドピアノを置いても余裕である。『ヴァイオリニストで芸大助教授の澤和樹さんが、20年前、同じくロイヤル・アカデミーに留学していた時、ここに住んでいたのよ。知ってる?』と言われ、私もここで頑張ろう♪と何だかすっきりした気分になれたのを今でも覚えている。即、契約をして、これで本当の意味での留学生活が自分の中で始まった気がした。

【新生活♪】

もともと一戸建ての普通の家を1階に2人、2階に2人と貸し出せる様に改造されたものなので造りは変わっていたけれど、日当たりも良く、庭にはリスや狐が現れ、快適な生活。大家さんの言う“ピアニストの館”には4台のグランドピアノが各フラットに入り、常に何処かで鳴り響く。頑丈なレンガ造りなので外には然程ひどく音も漏れず、土地も広く互いの家が密接していないので苦情も来ない。お互い様と言う事で24時間気兼ねなく練習をしようという代々の約束のこの家。夜中の3時にムソルグスキーの展覧会の絵がドカンと聴こえて来たり、結構強烈!!インフルエンザで40度の高熱を出し1人で寝込んでいる時に寝室の真上でチャイコフスキーのコンチェルトを熱演された時はいささか参ったが、まぁ、お互い様(笑)。次第に慣れた。

          

快適な新生活スタートと同時に、すぐ中華食材のお店等でお酒や醤油を買い、念願の日本食生活も可能となる。体調も落ち着いてきた。家探しで驚いたのは、こちらの物件は当たり前のように家具も電化製品も備え付け。調理器具から食器まで揃い(使えない物もあるけど)余分な物を買う必要が無く有り難い。タイミング良く、この年の夏にYAOHANがオープン。バスで1本で行かれる場所だったので、日本食に飢えていた私には、最高のオアシスとなった。(この6年後、私の帰国の年に、タイミング良く??ヤオハンは倒産。実にお世話になった大型日系スーパーも中華系の店舗と化す。)