Cambodia  

 

アンコールワットの存在を知ったのはいつの事だろう。漠然と、どこの国か知らないけど物凄い物が有るんだと気になっていた。イギリスに居た時、このカンボジアに大変詳しい友達が居て、悲惨なポル・ポト派の社会主義改革の事を教えてもらったり、アンコールの遺跡群の写真を見せてもらった。何て国なんだ・・・と絶句しながらも、この荒廃した遺跡群にどんどん魅力を感じ始めた。

2001年の秋、やっと実現。赤坂にある、カンボジア大使館に出向きビザを取った。パスポートに押印された全く読めないクメール語(カンボジア語)に、アンコールワットの絵が書かれた査証は、いかにもカンボジアらしい。ワクワクして来た。

まずは、成田よりバンコク入り。日本よりバンコク発のアンコールワットツアーを申し込み、カンボジア、シェムリアップ空港へ。実はこれが私にとって初めての発展途上国への旅だった。アジア自体も殆んど旅行した事が無く、そのカルチャーショックはかなりのもの。想像を遥かに越えたものだった。

まず、最初のショックは着陸前。飛行機の窓から見る景色は殆んど一面の水。建物は殆んど見えない。かなりの割合で土地の多くは田んぼらしいけれど、今は雨季真っ只中。一部の高台の村以外は全て水没しているのだ。道や(たまに家も)田んぼは超広大な湖と化して水の中。これじゃあ貧しいのも無理は無い。

さて今度は飛行機を降りて、小型のツアーバスにてホテルへ向かう途中。飛行機の上から見えた田んぼたるものは、よく見てみると、別に耕したり、農業らしい何かを施されている訳でもなく、取り敢えず稲を水溜りに乱雑に差しているだけだということが判明。泥の水溜りに蓮が沢山広がり、その横で釣りをしている大人達。ガイドの説明によると晩御飯の蛙を、捕っているとの事。そのすぐ横で、泥まみれになって泳いでいる子供達・・・。道路はアスファルト化されてなく、町中がすごい土埃!!絶対コンタクトをして歩けないであろう、その土埃の道の脇にはテント暮らしや、屋台暮らしをしている人が溢れ、子供は全裸で歩いている。。余りにも衝撃映像の連続で呆然としてしまった。

日本を出国するときから心配だったのは病気の事。デング熱やマラリアである。実は私、驚異的に蚊に愛される(全然嬉しくない)。周りの人が誰も刺されないのに一人で短時間に20箇所以上刺されたりするのだ。カンボジアの蚊達にも気に入られるに違いない。。日本の薬局で蚊よけの大き目のスプレーを購入し、滞在中は毎日浴びるように全身にスプレー。それでも到着から帰国まで、周りに飛ぶ虫が視界に入る度に、ビクビクしていた(+。+)。

さて、ホテルにチェックイン後(勿論、蚊よけスプレーをして)、早速アンコールの遺跡群へ出発。シェムリアップより遺跡群へは約7キロ程。途中、あのアンコール・ワットがちらっと見え、かなり興奮。昼間は西日が強すぎて写真に取れないとの事で、まずは、アンコール・トムへ。1181年に着工、13世紀初めに完成され、王朝史上最大の都城である。バイヨンに続く南大門を通過。この門の手前には両側に54体もの阿修羅象が厳しい顔つきで立ち並ぶ。一見狭く見える、この南大門だが、実はバスが通り抜けられる広さだった。

 

アンコール・トムとは、『大きな都市』を意味する。高さ8mの城壁と5つの城門、外周12kmの巨大都城である。1181年着工、四半世紀かけて完成したらしい。当時は寺院バイヨンや象のテラス、ライ王のテラス、小さ目の寺院の他に、王宮や衛兵宿舎、王族の館等が建てられたそうだが、木造建築のため、これらは朽ち果てて現存しない。このクメール建築では、神のための宮殿は耐久性のある砂岩やレンガで、人間である王の宮殿は自然の恵みを象徴する木造というように、材料を分けて作ったそうだ。早速、メインのバイヨンへ。

宇宙の中心を具現化した、この建物。ほぼ、全塔の四面に仏顔を持ち、一種異様な雰囲気を漂わせていた。現在、54基の塔に173面の仏顔が確認されるが、かつては181面あったとか。口元に笑みを浮かべた菩薩の顔は、“バイヨンの微笑”と呼ばれている。リアルでちょっと怖いけれど、皆、それぞれ違う微笑み。この石塔に刻まれた顔こそ、忘れられなかったカンボジアの強烈なイメージだったので、感慨ひとしお。長年の風化で崩れたり、苔むしながらも、沢山の観世音菩薩の微笑みの中を歩いているうちにとっても穏やかな不思議な心になった。

  

もう1つの見所は、回廊に施された繊細なレリーフ。アンコールワットの浮き彫りが宗教色、政治色が強いのに対して、バイヨンのレリーフは庶民や貴族の生活ぶりが生き生きと描かれている。アンコール・ワットよりも深彫りで写実的。天井は崩れ落ち、柱と壁のみが残された第一回廊の壁一面のレリーフは圧巻。

 

ライ王のテラスや象のテラス、バプーオン等を見て周り、いよいよ、アンコール・ワットへ。『寺院によって造られた都城』と言う意味で、1113年、着工。完成までに30年費やしたこの寺院はアンコールの遺跡群の中で最大の建造物である。密林の中の、この遺跡、1860年にフランスの博物学者によって発見されたそうだ。長年の自然の浸食や内戦により荒廃して、崩壊の危機にある。世界遺産の中でも危機遺産に登録されている。日本の建設会社、やボランティア等も相当数、保存や修復に携わっていた。

540mもの参道を歩くと本殿に辿り着く。手前には大きな蓮池(聖池)が広がり、本殿が水面に映し出され、神秘的だった。寺院全体は、ヒンドゥー教の宇宙観を具現化して、屹立する5基の塔堂はヒンドゥー教で世界の中心とされる須弥山を象徴、周囲で水を湛える環濠は大海原、周壁はヒマラヤの霊峰に見立てられているそう。

驚きなのは内部。壁から天井、柱、全てがレリーフで埋め尽くされている。どこを見渡してもギャラリーのよう。愚かな内戦や長年の風化で壊れてしまったりボロボロになっている箇所が多かったけれど、その廃墟具合が、又ゾクッとさせられる。その当時は世界をリードする大国であったろうに、そのまま1000年、時が止まっているかの様。写真で見て最も高い塔、中央祠堂へ登ってみた。この階段、恐怖の急勾配。日本だったら絶対立ち入り禁止ではなかろうかと思う程危険なゴツゴツ石のほぼ垂直な階段だった。まさに自己責任。ここで踏み外したり後ろにひっくり返ったらどうなるかしらと、おののきながらも、物好きなので登る。登った甲斐のある神々しい世界が広がり、しばしボーっと見とれた。長年訪れたかっただけの、価値ある世界遺産だと感動し、又、少しでも長く、この崩壊しつつある宝の様な遺跡を、後世に残してもらいたいと痛感した。ゆっくりと感動に浸った後、半べそで恐怖の階段を降りる。

    

アンコール・ワットを堪能した後は、プノン・バケンへ。高さ60mの丘の上に建つ遺跡で、ゼイゼイしながらも登ると360度、アンコール地域を見渡す事が出来る。大貯水池の西バライもキラキラと見えるし、何と言っても、この頂上から下に見るアンコールワットは樹海に浮かび上がっていて、これまた、かっこよかった。本来はここはサンセット(夕日)で大人気のスポット。今日は雨季の割には殆んどスコールも無く、行動はし易かったが、雲が厚く、余り綺麗なサンセットは見れなかった。日もすっかり暮れ、晩御飯の後、ホテルに向かうバスの中から昼間の道沿いの景色を見てみた。一般の人はろうそくで生活。もっと貧しそうな人は暗闇で固まっていて、これまたショック。それでも、この町はアンコール遺跡のお陰で、リッチと言うから、他の町ってどうなっちゃているんでしょう?? 

今日は、アンコールのメインとも言える2大寺院を一気に見る事が出来、大満足の一日だった。勿論、衝撃の多い一日でもあったけど。今回の旅、アンコールでどうしても見たかった私の願い。それはアンコール・ワットでの朝日を見る事だった。『雨季ですし明朝は曇りですよ。』とのカンボジア人の意見も有ったけど、明日起きて見なけりゃ分からない!早速、ホテルのお掃除のお兄ちゃんに、彼のバイクで朝日を見に連れて行ってくれないかと交渉。本当は、早起きが大の苦手だけれど、ウキウキ4時半に飛び起きて、約束のフロントへ。

外はまだ、真っ暗で晴れているか曇りかも分からないけれど、取り敢えず出発。こんな所でカンボジア人のお兄ちゃんにしがみつきながら落とされない様、バイクで走る事なぞ、予想もしていなかったが、生温い空気の中、ガタガタ道を連れて行ってもらった。お兄ちゃん、この手のアルバイトには慣れている様で、入り口で待ってるから、ゆっくり見ておいで♪と言ってくれた。待つ事、数十分、うっすらと空が明るくなり始め、見事な晴れだと判明!時間と共に空の色がどんどん変わるアンコール・ワットでのサンライズは、噂通り感動的だった。ジ〜ン。丁度、日本のお盆にあたる時期だったので、隣の寺院からは朝日と共にお経と音楽が鳴り、より雰囲気を醸し出していた。

    

さてさて、御機嫌でホテルに戻った後は、朝食。それから、遺跡巡りへ今日も出発。

建築の途中で雷が落ちて、『これは神の怒りだ』と恐れて途中で建築をやめたと言われるタ・ケウや、王の沐浴の為の池とされるスラ・スラン、ピラミッド式寺院のプレ・ループ、祠堂が植物によって破壊されてしまったタ・ソム、治水に対する信仰の寺院ニャック・ポアン等々、次から次へと山のように遺跡を見て周る。まだまだ、これらのマイナーな遺跡の周辺には地雷が沢山埋まっていて危険だそう。町中でも未だに、草むら等は入ってはいけないそうで、滞在中も、地雷を踏んで手や足の無い人を沢山目にした。やっと平和が訪れたと言いつつも、まだまだ人々が安らぐ事の出来ない国。長年の侵略やポル・ポト政権下での虐殺等でいまだに身体にも心にも傷を負っている人が沢山居る国。同じアジアなのに。。

ガイドのお姉さん、張り切って次から次へと遺跡巡りに行ってくれた。雨季の筈なのに、今朝の素晴らしい朝日が見れたように、思いっきり快晴だった。とにかく暑い。しかも遺跡には天井も無く、殆んど炎天下。強烈な日差しの下での長い説明、遺跡の階段の上り下りや、長いウォーキングで、段々と、意識が朦朧としてきた。虫除けスプレーを全身にかけているにもかかわらず、木陰に入ると蚊が次から次へと近付いてくる。様々な遺跡を楽しみながらも、段々とめげて来た。。

  

昼食後も、お姉さんの勢いは止らない。残念だけど、余りにも衰弱して、午後の遺跡の記憶が飛んでいる。ただ、どうしても行きたかったタ・プロームは笑う元気も無いながら、嬉しかった。ここは、自然の力を明らかにする為、樹木の除去や本格的な積み直しなど修復の手を下さないまま据え置かれている寺院。大蛇のように石を這って押し潰していく光景に熱帯の猛威を見せ付けられる。ここは行けて本当に良かった。

  

20程遺跡を見て周っただろうか。フラフラである。晩御飯にカンボジア料理を食べに地元では有名なレストランへ。カンボジアらしい器に盛られた料理が沢山出てきたけれど残念ながら食欲出ず。

さて、ホテルに戻り、バタンキューzzz。夜中に物凄い寒さからの震えで、目が覚めた。悪い予感的中。ガタガタと震える中、一気に高熱が出た。ホテルの毛布を何枚重ねても寒く、おまけに部屋にネズミまで走る始末!こんな所で死にたくないよぉと半べそ。ふと、頭をよぎったのは、昼間、もしくは昨日、完全防御にもかかわらず、蚊に刺されたのでは??という事。これ、マラリアかなぁ、それともデング熱?!と不安最高潮。でも、昨日今日と見た町の様子では、絶対に地元の病院には、お世話になりたくなかった。何としてでも明日、頑張って飛行機に乗って、せめて、タイの病院に行こうと決心。旅行先での病気は心細く、辛いもの。どぉして、カンボジアで、こんな事に。。と落ち込みながらフゥフゥと辛い夜を耐えた。翌朝、高熱は少し治まっていたものの、フラフラしながら搭乗拒否されない様に飛行機に乗り込む。

バンコクに到着後、大病院へタクシーにて直行。何だか、タイがとてつもなく発展した、物凄い先進国に見えた。日本人の通訳の方を通じてタイ人の医師の治療を受けた。カンボジア帰りですと伝えると、ゲッとした顔をされたが、診断結果は日射病。炎天下の遺跡巡りの為だった模様。マラリア、デング熱は、蚊に刺されてもすぐには症状が出ないので、もう少し様子を見て・・・との事だった(恐怖)。帰国後、人生初の検疫も体験し、いやはや大変な旅だった。

今回のこの旅、非常に刺激的で、大変印象深いものになった。憧れの遺跡を、この目で見れて幸せな2泊3日の旅だった。でも、これ以来、太陽恐怖症になり、このカンボジア体験をステップに、インドやネパール等にも行ってみたいと意欲的になっていたのだが、自分の体力に自信が無くなってしまった(苦笑)。幸い、数ヶ月間、発病にやや怯えながらも何事も無く、今回の旅の病気話も笑い飛ばせる様になったが、蚊で病気を頂く国は、もう御勘弁かな??でも、機会が有ったら、是非一度アンコール遺跡群は見て来て欲しい。密林に浮かぶ神々の聖地が、まだ姿を残しているうちに・・・。